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山のなりたち

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吾妻川流域の山の歴史

 

榛名山

 

四阿山(根子岳、浦倉岳を含む)

 

浅間山(黒斑山を含む)

 

烏帽子山群

 

岩櫃山、薬師岳、吾嬬山、高田山

 

王城山、高間山、菅峰、笹塒山、鼻曲山、浅間隠山

 

草津白根山

 

御飯岳

 

小野子山、十二ヶ岳

 

子持山

 

[吾妻川流域の山の歴史]

このWebサイトの発信地である吾妻川流域の山の歴史を順次アップロードしていきたいと考えています。これは、私自身がいつも登っている身近な山々が、いつ頃どんなふうにつくられたのか知りたいという、単純な動機によるものです。しかし、私は地質学には全く無知なので、調べるといっても自分で地質や年代を調べるといったことはできません。もっぱらその道の専門家が残された資料を調べてまとめてみたい。ということです。日本の個々の山の造山史というものは書籍としてほとんどありません。研究論文はインターネットの時代の現在、かなり目にすることができます。しかし、聞いたこともないような地質や岩石名、地質年代名など専門用語がいっぱいで、けっして読みやすいものではありません。私たちが知りたいのは長い論文のうちの数行なのです。そんなわけで不十分ながら始めてみました。おもしろいことにこの地域の山はほとんどが火山だということです。言い換えれば吾妻川流域は火山の密集地だといいえます。それにくわえて特異なことは、二つの火山帯の出会うところでもあるということです。群馬県西端の鳥居峠を境に北側へ四阿山-白根山は那須火山帯に属し、峠から南へ湯ノ丸山-浅間山へ続く方は富士火山帯に属しています。それぞれの性質も峠を境に異なり、北側にかつて硫黄鉱山がたくさんありました。温泉も硫黄を含む温泉水で草津の湯は強酸性です。一方の南側に硫黄鉱山跡は一つもなく温泉は硫黄を含まないアルカリ性の温泉です。このようにこの地域はおもしろそうなことがいっぱいで、興味つきない地域のようです。それでは、とりあえず始めましょう。順不同です。

追記 ① 火山帯について。かつての火山帯の分類はその境界が曖昧なこと、単なる地理的な分類で、その特徴などが統一的であるということがないことなどから現在では使用されていない。現在は太平洋プレートの沈み込みによる東日本火山帯、フィリピン海プレートのそれにより西日本火山帯を使う。

② ここで使われている地図は書籍「カシミール3D」に付属した50mメッシュ数値地図、および五万分の一、25万分の一地図画像です。出版社が国土地理院の承認を受けていますので、ここでの使用は2次使用となります。

[榛名山]

榛名富士

榛名山は直径25km、最高点(掃部ヶ岳:かもんがたけ)1449mの大型成層火山(なだらかな円錐形に近い形をした火山)。山頂部はたくさんの溶岩ドーム群がある。山頂部は東西3キ、南北2キロの小型カルデラ地形がある。

榛名山は50万年位前から24万年前前までの火山活動を古期榛名火山、5万年前以降の活動を新期榛名火山と呼ばれることが多いようです。それは、古期と新期との間に約20万年くらいの休止期がはさまれているからと思われます。

古期榛名火山は、50万年くらい前に活動を開始し、標高2000m以上と思われる成層火山が生まれました。この火山の山頂部は後の大爆発でふき飛んでしまい、そのあとにいまのとは別のカルデラができました。現在の地図にある掃部ヶ岳、杏ヶ岳、鏡台山、天狗山、音羽山、鷹ノ巣山などは、このときのカルデラの外輪山ではないかといわれています。古期榛名火山は24万年前頃まで活動し、20万年くらいの休止期間に入ります。

相馬山

新期榛名火山は、5万年前頃から活動を開始します。カルデラの中に小さな成層火山が生まれますが、これは、火砕流となって榛名山南麓の箕郷町、下室田などに流出しました。

山頂部はこのため陥没して再度カルデラができました。氷室カルデラといいます。(現在のカルデラではありません)その後このカルデラの中に氷室山ができます。いまの天目山はこの山の一部分といわれています。4万年前になるとこの山が爆発していまのカルデラが生まれます。臥牛山、烏帽子ヶ岳、鬢櫛山、掃部ヶ岳、天目山などはこのカルデラの外輪山です。榛名湖はこのカルデラにできたカルデラ湖ということになります。1万年くらい前になると、相馬山、水沢山、榛名富士、蛇ヶ岳、などの溶岩ドームが生まれました。

右:臥牛山、中:蛇ヶ岳、左:烏帽子ヶ岳

6世紀には一番新しい山、二ッ岳が生まれました。このときの爆発で相馬ヶ岳の北側は吹き飛ばされてしまい、鋭い山頂部ができました。このときの噴火による軽石などの降下物は赤城山北麓にまで達しています。
参考:「榛名山地域の地質」平成24年 地質調査総合センター

[四阿山(根子岳、浦倉岳を含む)]

浦倉岳(谷地平より)

右:四阿山、左:根子岳

四阿山は、群馬県の北西端に位置します。鳥居峠近くの群馬県田代はキャベツの一大産地です。ここから仰ぎ見る四阿山は左右に大きく尾根を張り出した雄大な山です。
約80万年前から活動を開始した成層火山です。70万年前頃には西隣でいまの根子岳が活動を始め、数万年かかって山の形をつくりました。50万年前には浦倉岳も活動を始めました。
この3つの山で囲まれた内側はカルデラで環状に崩壊地形を作りこの山の特徴的な地形になっています。この崩壊地形は55~50万年前に形成され、浦倉岳が生まれてからは45万年前以降に浦倉岳の西側も崩壊地形がつくられたと見られています。

参考:「四阿火山の火山活動史の再検討」地質学雑誌120巻3号、2014

[浅間山(黒斑山を含む)]

浅間山と小浅間山(パルコール嬬恋より)

浅間山は隣接した3つの噴火した山によって3期に分けられます。

第一期は、黒斑期ともいわれ、10万年前頃から活動を始めてから急速に成長しました。3万年前頃には爆発的噴火を繰り返し、やがて2万3~4千年前頃山体が大崩壊を起こしました。西側半分を残して大部分が岩屑ナダレとなって南北の山麓に流れ下ったのです。現在の黒斑山の東側の崖は、この崩壊によるカルデラ壁です。 黒斑山の火山活動は2万1千年前頃収束します。

第二期は仏岩火山の活動で、1万7千年前頃から始まり、爆発的な噴火が繰り返された。仏岩火山とは登山者には聞き慣れない山名ですが、地形図で浅間山山頂部から南東側に弥陀ヶ城岩と記載があります。これは、仏岩火山の溶岩流が断層崖として露出したものといわれています。素人の妄想でですが、浅間山南東部の山腹が凸状になっていますが、これが仏岩火山によるものではないかなと思います。いずれにしても仏岩火山活動は浅間山の噴火史の中で重要な期間らしいですが、次の第三期の前掛山の噴火によって埋まってしまい、これが仏岩火山だという地形的に明瞭なもがないので、登山者にとってなじみのないものとなっている。。

第三期は仏岩火山の終了後1500年位を経て8500年前頃に始まった前掛火山といわれるものです。最も大規模な噴火活動は2500年前に始まったもので、浅間山はこの期間に急速に成長し、現在に続いています。

参考:「浅間山の地質と活動史」日本火山学会 第10回公開講座 2003年

[烏帽子山群]

烏帽子岳

この山域の火山活動は西端の烏帽子岳周辺から始まり、東へと活動域を移動していく、そして最終的に浅間山の活動につながっていきます。
この火山群は西から烏帽子岳、角間山、三方ヶ峰、水ノ塔山、高峰山。小火山、溶岩ドームとして湯ノ丸山、桟敷山、村上山、西篭ノ登山、東篭ノ登山等で構成されています。
角間渓谷の岩屋観音付近を火口とする火山は約100万年前から始まります。
烏帽子岳は76万年頃と45~35万年くらい前の二回にわたる活動がありました。烏帽子岳の東半分は浸食によって失われていて約200mの崖となっています。(ここをカルデラがあったとする見方もあります。)その凹部に湯ノ丸溶岩ドームがずっと後の31万年くらい前につくられました。
角間山、鍋蓋山は36万年くらい前に作られた小さな成層火山です。
三方ヶ峰は30~24万年くらい前に現在の池の平を火口とする成層火山をつくりました。この北側に
桟敷山、小桟敷山の溶岩ドームも同じ頃の30万年前頃につくられたのです。
高峰山も三方ヶ峰とほぼ同じ頃の30~24万年くらい前に活動した成層火山です。当初の山頂は現在より北にあったようで、浸食等により現在の山頂になったとおもわれます。
村上山は13万年前につくられた溶岩ドームです。
水ノ塔山は13~10万年前につくられた成層火山で、この地域では三方ヶ峰や高峰山がつくられたあと10万年くらい活動休止期があったようです。
東篭ノ登山、西篭ノ登山は8万年くらい前につくられた溶岩ドームです。
一連の火山活動の後その活動は東の黒斑山、浅間山の活動へと移ってゆきます。(前項)

古嬬恋湖について:現在の吾妻川は嬬恋村から東流して渋川で利根川と合流していますが、30万年前以前には嬬恋地域の川は南流して、現在の浅間山のあたりを通って千曲川に合流していたそうです。30~17万年前頃、烏帽子火山群の活動でこの川がせき止められてしまいました。できあがった古嬬恋湖は王城山のあたりを東端として大笹あたりにまでおよんでいました。この水があふれるように東に流れることを繰り返して、昔の王城山は浸食されてしまい、そこを川が流れるようになり、いまの吾妻川になったようです。

参考:「浅間・烏帽子火山群の火山活動場の変遷」地質学雑誌 第119巻 7号 2013

[岩櫃山、薬師岳、吾嬬山、高田山]

 

 

吾妻地方での火山活動は800万年前に始まり、岩櫃山、薬師岳、吾嬬山(かずまやま)はこの火山活動の産物です。地層試料の測定では400万年~300万年前という結果もあります。いずれにしても大変古い山で、吾妻古火山とも称します。これらの山は複成火山であることや、火山活動の前後にも断層活動があったこと、火山活動が長期にわたったこと、その間に激しい浸食を受けていることなどで、火山の元の形は現在ではすべて失われて残されていないようです。現在の山体は火山の深部構造の一部が露出していると見られます。
高田山は、岩櫃山の15km北方の四万川西岸の山です。活動は1000万~500万年前、ほぼ600万年前くらいらしい。吾妻古火山よりもさらに浸食が進行し、火山帯の大部分が失われた山のようです。

参考:「大地のあゆみ・群馬地質物語」上毛新聞社 1987
「群馬県吾妻川流域に分布する浸食された火山の内部の構造と基盤構造」地球科学59巻 2005
「群馬県北西部の吾妻川中流域に分布する新第三系」地球科学40巻4号 1986

[王城山、高間山、菅峰、笹塒山、鼻曲山、浅間隠山]

 

菅峰(背後は榛名山)

 

鼻曲山

浅間隠山

白砂川東岸の北から松岩山、高間山、王城山、菅峰、浅間隠山、鼻曲山までほぼ南北に火山が連なっています。これらの火山は地質年代第4紀 前期更新世(約250万~80万年前)に活動した古期火山です。
王城山、高間山は120万年前~90万年前頃に活動した火山で現在の王城山は著しく浸食された山です。元の火口は現在の山頂の南東の吾妻川対岸にあったようです。道の駅やんばから橋を渡ったところに滝がありますが、この沢を不動沢といいます。付近の山は堂岩とよばれています。王城山の火口があったのはこのあたりらしいのです。ということは当初の山体は長い歳月に浸食され、のちの古嬬恋湖があふれて吾妻川の流れで浸食されてしまったということでしょうか。
菅峰、笹塒山(ささとややま)は110万年~70万年前に活動した火山です。菅峰火山の火口部は吾妻川の支流、温川の上流部にあったらしく、浸食によって菅峰と笹塒山とに分かれたとの見方があります。火山ができた当初はずいぶんおおきな火山だったのです。笹塒山とは読みにくい山名ですが、塒は(ねぐら)と訓読みされるので野鳥かイノシシなどのねぐらの山だったのでしょうか。いまも訪れる人は少なく、私もまだ登ったことがありません。
浅間隠山は140万年くらい前に活動した火山らしいが、詳細不明です。
鼻曲山は120万年~60万年前に活動した山らしい。先鼻曲は270万年~180万年前に活動したらしいが、この山はいま雨坊主山(あまんぼうずやま)といわれています。しかし、吾妻川流域の山ではありません。

参考:「日本の火山」産業技術総合研究所ウェッブサイト
「群馬県吾妻川流域に分布する浸食された火山の内部の構造と基盤構造」地球科学59巻 2005

[草津白根山]

 

正式名称、白根山2160m、最高峰本白根山2171m、三角点峰逢ノ峰2109.9m 三峰を総称して白根山といい、通称草津白根山といいます。
草津白根山の噴火は200~60万年(60万年前頃とするものが多い)頃本白根沢の源頭部付近で起こったものに始まるとされています。これを松尾山火山といい、何度も噴火を繰り返して一万年くらいの間に山体を作りました。その後、休止期間を挟んで37万年前頃この松尾沢火山のすぐ東側から噴火し、大量の火砕流や溶岩を東から南にの方向に流出しました。これは、この火山の基盤になる地層がこの方向に傾いた斜面であったためで、さらにこの基盤は北、北西の長野県県境の山稜部の2000mにまで達するため北には流れず、東~南の方向にだけ流れるといった変則的なものとなりました。このときの火砕流では大子(おおし)火砕流がよく知られています。山麓にいまの草津市街地などの火砕流台地を作りました。この噴火のあと本白根から北へ白根山付近まで複数の火口から溶岩が流出して、山体の上部を広くおおいました。この溶岩は旧溶岩といいます。この溶岩の上にいまの火山が積み上がっていまの白根山ができているのですが、そこまではまだだいぶ時間が必要です。
30万年くらいの長い休止期間ののち18000年くらい前から再び活動を始め、現在の山頂部ができたのです。まず白根山(湯釜のピーク)(推定14000年前)続いて逢ノ峰、本白根山(推定3000年前)。これらの山は溶岩の噴出によるものではなく、水蒸気爆発による噴出物を火口の周辺に積み上げるように作られたものです。これを火砕丘といいます。これ以降噴火のほとんどは水蒸気爆発で、溶岩流を伴うものではありません。現在もこの活動期が続いています。

参考:「草津白根火山地質図解説」産業技術総合研究所 地質調査総合センター
「草津白根火山の噴火史」 第四紀研究28(1)1989
「温泉の科学」7-2-4
「草津白根山」新砂防Vol.43 No.1   1990

[御飯岳]

御飯岳はおよそ110万年前の火山活動によってできた山です。御飯岳の溶岩の下には高井溶岩や御飯岳のすぐ北の老ノ倉溶岩などを基盤とする成層火山です。現在では浸食作用で原形を失っていますが、周辺には緩傾斜の溶岩台地を各所に残しています。この辺り一帯の最上位に位置するのが御飯溶岩で相当に厚く分布しているそうです。
土鍋山付近や小串鉱山付近、御飯岳北方に爆裂火山地形が残っているといいます。破風岳中腹の五味池のその一つだそうです。
御飯岳の西側には長径3キロ、短径2キロのカルデラ地形があります。破風岳はその爆裂作用のため山体の多くを失っています。破風岳の山頂は御飯溶岩によるものです。
毛無峠周辺は旧小串硫黄鉱山による影響もあると思いますが、笹原になって高木がないため比較的強い風が安定的に吹いているためリモコンのグライダーを操る人たちが多くいます。

参考:地質調査所 地質図幅須坂説明書

破風岳からカルデラ地形の向こうに御飯岳(雲の中)

毛無峠から破風岳

[小野子山、十二ヶ岳]

 

右から小野子山、中岳、十二ヶ岳(水沢山から )

およそ100万年前この付近は中之条にかけて陥没盆地による湖の湖底であった。湖底からマグマが噴出し、火山活動は活発であったと思われる。現在、国道の岩井洞付近の吾妻川沿いにこのときの噴火活動による枕状溶岩が見られる。
その後、数十万年前小野子火山が活動をはじめ成層火山を形成した。火口は十二ヶ岳西方で標高は1800mくらいあったと想像されるようだ。山頂部は爆裂によって山体崩壊をしてしまい、現在は火口壁を残しているという。一方、北面はなだらかな傾斜で当時の地形を残しているという。火山活動はおよそ30万年前に終了にしたと考えられている。

参考:「小野子火山周辺の地質」

[子持山]

水沢山からの子持山、右の尾根上に大黒岩(獅子岩)が見える。 背後の雪の峰は上州武尊山

子持山の火山活動はおよそ160万年前と思われる。600万年前の火山活動による基盤を破って溶岩を噴出した。90万年前頃から活動が活発になった。このときのマグマが固まった岩脈を現在見ることができる(屏風岩など)。写真に見える大黒岩は火口へ垂直に上昇してきたマグマが硬化したもので火山岩頸というそうだ。60万年前頃、成層火山へと山体が成長し、山頂付近にカルデラができ湖になったが、続く爆発でそれらは麓に流出し扇状地をつくった。柳木ヶ峰はこのころの溶岩ドームの残骸という。
20万年前頃火山活動は収束した。その後の浸食・解析によって火山の内部構造の岩が露出し、修験道の対象にもなっている。
参考:ウィキペディア「子持山」

 

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