「嵐の大地」  パタゴニア探険19581962 エリック・シプトン著 田辺 協子訳   山と渓谷社
「パタゴニア氷床横断」  南米大陸白い地図に挑む 阪上秀太郎著  芙蓉書

シプトンがこの本の冒頭でいっているように、中央アジアの特にヒマラヤの魅力に取り付かれて、なかなかパタゴニアにたどり着けなかったという。私の場合は本として読む立場であったけれど。この二冊に描かれているパタゴニアの氷床は魅力的であったが自分が行く可能性は限りなく少なかったためか、本は買っただけでまったく読まなかった。どちらも40年くらい書棚の塵に埋もれていた。それをこの二月、二冊とも読み上げたのだった。借りたお金をようやく返せたときはこんな気持ちなのだろうか。
二冊を較べてみると、読み物として圧倒的に六甲学院の氷床横断のほうが興味深かった。
それは隊長も隊員も全員が海外での登山も探険も初めての体験であったことと、隊員は皆若く、すべて隊長の教え子である。長年の師弟としてのつながりと、隊長も含めてクラブの先輩、後輩という間柄であるということが大きいと思う。
隊員の喜び、苦労が新鮮に写り、隊長の苦労、責任、緊張、安どがみな行間にあふれて、読む側も時間を共有している感じを味わうことができた。

六甲隊は氷床横断に59日を要している。横断の日数だけを較べてみても意味はないが、シプトン隊は52日である。シプトン隊は南部氷床の北端からアルゼンチンのクリスチナ牧場までで、ゴール地点は両隊とも同じである。六甲隊は南部氷床のほぼ中間点へ西側から入り、シプトン隊のルート近くに合流した。大雑把に距離はシプトン隊の半分である。悪天候は六甲隊のほうが多く遭遇しているようである。シプトン隊は混成隊で、みな山のベテランで、二人は地元のチリ人だから情報量と経験は圧倒的に有利である。シプトン自身も世界に知られた登山、探険のベテランで、終生探険で過ごした人生といっていい人だから活動したフィールドは異なっても探険のノーハウは知り尽くしている。だから記述も淡々としているといってよいかもしれない。シプトンは氷床縦断の一年前にアルゼンチン側から下山地点付近を偵察しているからスムースに牧場へゴールしているが、六甲隊はシプトンの記述と航空写真が頼りで、急な崖や岩場、腰までの渡渉をしたり苦労して牧場にたどり着いている。

シプトンは翌年再びパタゴニアに入り、南米南端のフェゴ島で登山活動と探険調査をしている。それらをまとめたのが本書である。
さて、パタゴニアとは南米の南端、チリとアルゼンチンにまたがる山岳地帯で、西のチリの側はフィヨルドの入り組んだ海岸線で、船でしかアプローチできない。湿潤な気候で、下部は雨林となっている。フィヨルドから一気に氷床まで氷河でつながっているが、ほとんどクレバスだらけである。
一方アルゼンチン側は乾燥した草原と多くの湖があり、氷河はこの湖に流れ下る。南北の極地以外で唯一大陸氷床がある。南北600kmで北と南に分かれている。
氷床上では夏でも猛吹雪、暴風雨、ひょう、あられ、雷とあらゆる天候が出現する。晴れ間は極度にまれにしか現れない。パタゴニアの嵐を船乗りはウイリーウォーといって恐れ、南端のドレーク海峡(ホーン岬)やマゼラン海峡の航行は困難を極める。
氷床上ではヒマラヤ登山に使われるようなテントはまったく無力で、ピラミッド型の四本柱で二重のテントでなければ耐えられないという。両隊とも毎日のように滝に打たれたようにビショビショになって一日の行動を終わることが多かったようだ。かと思うと、ひとたび荒れ出すと何メートルも雪が積もり、荷を掘り出すのに何時間もかかるようなこともまれではないという。

なぜ人はこんなにも困難なところへ自らおもむくのだろう。