「アムンゼン探険誌」 加納一郎訳 世界教養全集24 平凡社
以前の本欄で、イギリスのスコットによる南極探検についてふれた。それは「世界最悪の旅」で知られているように。極点到達後全員が遭難した極点旅行である。
一方同じ年、ひと月早く南極点に到達して、探険を成功させたアムンゼンについてもふれておかなければならないだろう。
この探検について私は「アムンゼン探険誌」加納一郎訳、世界教養全集24、平凡社で読んだ。これはアムンゼンの生涯の探険をまとめたもので、4章が「南極点到達」である。はじめに、なぜ南極に向かうことになったか、その経緯が書かれている。
1906年、北西航路(北米の北を大西洋からベーリング海へ抜ける航路)をはじめて航海に成功した後、次は北極点到達を目標に準備を進めたのだが、その準備が整ったとき別の隊であるペアリーが北極点に到達してしまったのだ。アムンゼンは出発はしたのだが途中で隊員たちに北極点はすでに到達されてしまったから、南極に行くことに決めたと告げ、隊員の賛成を得た。このときすでに南極に向かっているスコット宛に自分たちも「南極に向かう」むねの電文を書いたのだった。
ロス海の西の端、ロス島にスコット隊は基地を造り、600km離れた同じロス海の東、鯨湾にアムンゼンは基地を作った。極点旅行は翌年の夏である。この間両隊は極地からの帰路のために食料や燃料のデポを、何度も往復して数箇所に置いた。スコット隊は冬にも学術的調査旅行を行い前に書いたように「世界最悪の旅」といえる体験をしている。これは小さなロス島の東西を往復するだけのものであるにもかかわらず「世界最悪の旅」になったのだった。
これについてアムンゼンは、南極は気流の関係で氷上よりも陸地のほうがはるかに天候が悪い。スコット隊はほとんど立っていられない強風にあっているが、ロス氷床上に建てたアムンゼン隊はこの上ない天候に恵まれ、生活の不快さを味わったことがなかった。と述べている。それにこの鯨湾は氷壁に囲まれた小湾であるが、68年前のロスの発見以来ほとんど海岸線が変化していない。探険期間の数ヶ月中、氷床の運動は少しもなかったという。アムンゼンはこのように過去の探検隊の報告を丹念に読んでいる。北西航路航行のときも過去のデータを生かして成功させていると私には思える。
移動手段についてもアムンゼンは述べている。スコット隊は今でいう雪上車を持っていったがほとんど使い物にならなかった。おそらく寒冷地仕様ということを軽く考えていたのではないか。他には小型の馬である。寒さに強いといわれていたらしいが、南極の極寒まで考えていたかどうか。最後まで活躍した馬はいなかった。最終的にスコット隊はスキーを履いた人力で荷を牽引し、最後に加わった5人目の隊員はスキーすらなく、最後まで徒歩で通したのだった。アムンゼンは馬を使ったことが致命的な誤りと確信するといっている。たしかにアムンゼン隊は隊員が荷を引いたことは一度もないといい、荷が軽くなる帰路、必要のなくなったイヌを食料にすれば一頭あたり22.5kgを下らない肉が食料となると計算されていた。これは当時の極地探検の常識ではなかろうか。
このような明暗を分けた探検隊であったが、アムンゼンは多くの好意を受けたり栄誉を受けたが、イギリスやアメリカで公私にわたる難癖や、不当な扱いを受けたと同書で語っている。