ゴリラからの警告「人間社会ここがおかしい」 山極寿一著 毎日新聞出版刊
この本を読む前にグレートジャーニーで知られる関野吉晴との共著「人類は何を失いつつあるのか」(朝日文庫) を読んでこの二人の会話がとても興味深かった。それでこの本を読むことになったのです。前の本のときは正直にいって関野の話に興味の大部分があったように思っていました。だが、それは関野が科学者ではないという立場で自由に話題を展開できたからかもしれないと今回読んで感じました。
山極のゴリラの研究を通して現代社会を見ると、そのありようは書名にある通り「どこかおかしい」、「ここがおかしい」と思わせます。
それは、人間は地球上の一生物であることを忘れ、あるいは生物としての本能を失ってしまってしまって、生物としてあるまじき行為を平然と行っている。いわば異端の生物となりり果ててしまっている。とこの本は教えてくれる。
チンパンジーやゴリラは、それぞれトラブルへの対応の仕方は異なるのだがそれを収拾させるやり方は合理的です。人間のようにトラブルが拡大してしまうことはないようだ。
ゴリラはトラブルがあると攻撃したほうをいさめるという。また、トラブルの当事者より力の弱い女や子供が介入することもあるという。
チンパンジーもけんかに割り込んで仲裁するし、傷ついたものを慰めることもするという。これらは互いに対等でありたいという気持ちと、トラブルが広がることを恐れる気持ちを強く持っているからだという。人間にも仲裁者が必要なのだ。
このように動物は人間より賢く、見習う必要があります。
著 者は「平和で調和する世界を実現する方法は動物たちの暮らしにある」といっています。
人間にも仲裁はありますが常にそうであるわけではありません。人間社会は複雑な要素がありすぎるのです。それでもじっくりと腰をすえ、利害を超えた仲裁が望まれます。この利害を超えた仲裁というのはかなり困難なことかもしれません。こういうことが成り立ちにくい今の世界の状況が問題なのです。
何回か前に取り上げた本でフロイトがいった「戦争は自然の掟に即しており生物学的なレベルでは健全であり現実には避けがたいもの」というのは、フロイトばかりでなく広くいわれていることですが、現代の自然科学ではまったく見当違いなものです。
人類は700万年の歴史のうち武器を持ったのは2・30万年前です。それも狩猟のためです。同じ人間に対して武器を使うようになったのは定住するようになった1万年前くらいからと思われます。こんなわずかな年月で人間は戦争をする生き物だとはとてもいえないと著者はいっています。
私たちは昔から人間であったわけではありません。西洋的な考えを捨てて動物社会の一員だったことを思って謙虚に動物社会の良いところを学びたい。とこの本はいっています。