「スプレー号世界周航記」 キャプテン・ジョシュア・スローカム著 高橋泰邦訳 草思社刊
本書は、1900年に「単独世界周航記」として刊行された。ヨットによるクルージングを目指す人にとってはバイブルのようなものではないだろうか。渓流釣りを愛好する人にとってアイザック・ウォルトンの「釣魚大全」がそうであるように。
スローカムは1898年廃船寸前だった老朽船を自らリメイクした37フィート(11m)の愛艇スプレー号で世界初の単独世界周航を達成し、母港ボストンに帰港したのだった。その航海は刻々と新聞に報道され、多くの人々の関心をさらうだけでなく、以降の冒険航海への道を開いたのだった。
自分でリメイクしただけに、マストは短く、幅広(4m)の風や波に強い船であった。この航海で大西洋は3回横断し、マゼラン海峡も2回の挑戦で突破し、南太平洋からインド洋、喜望峰を回り、4万7千マイルの地球一周を成し遂げたのであった。
スローカムは若い頃から船乗りを目指し、18歳で2等航海士に、直ぐに一等航海士、25歳には船長の資格を取って、家族と共に航海に明け暮れていた。日本にも木材、石炭、天然氷の輸送等で立ち寄ったことがあるようだ。
50歳の年、すでに手元にあったスプレー号で世界一周をしてみようと思い立った。金はないので航海中の記事を新聞社に売り込み、食料は寄付を仰ぎ、1895年ボストンを出港した。
スエズ運河を通るつもりでジブラルタルへ行ったが海賊が出ると警告され、再度大西洋に出たところで海賊に追われてしまった。結局海賊はどこにでもいるのだ。このとき嵐でブームを折られてしまったが、海賊のほうもマストを折られて帰っていった。
さらに南米沿岸では座礁してしまった。スローカムは泳げないらしい。脱出するために重いイカリを小船の乗せて何度も転覆しながらこのイカリを引いて離礁に成功した。
さてここからがクライマックス。世界周航の最難関は南米最南端をどう越えるかにある。山道では男坂、女坂などのコース選びがあるけれど、この場合最南端のホーン岬を越えるか、入り組んで狭い水路のマゼラン海峡、あるいはビーグル海峡を通るか、どれもすべてすさまじい強風と低温、早い海流や氷山の恐怖でどのコースも最困難なのだ。スローカムは風に追い返されながらマゼラン海峡を太平洋側に抜けたのだが、続く強風で太平洋側をホーン岬近くまで戻されてしまった。結局出発地のプンタアレナスを見ながらもう一度マゼラン海峡をウィリーウォーと呼ばれる強風と戦った。野蛮なフェゴ人を撃退する留め鋲をデッキにばら撒いたおかげで、2ヶ月に及ぶ挑戦が終わった。スローカムはマゼラン海峡通過を「私の一生で最大の冒険だった」と振り返った。
このマゼラン海峡は1520年南米のラプラタ川以南の入り江や河口を一つひとつ入念に調査しながら南下し、ようやく太平洋へ根ける海峡をマゼランが発見したのだった。抜け出た大洋はこれまでと違った穏やかな海だったので太平洋と名づけられたのはよく知られたところだ。
スローカムは南太平洋の島々をめぐり、オーストラリアからその北を通り、ココスキーリング島、モーリシャス、アフリカ、セントヘレナ、アセンシヨン、アンティグア、西インド、を経て1898年ニューポートに帰り着いた。
体重も増し若返ったと言われたのだから脱帽である。