「みなかみ紀行」 若山 牧水著 中公文庫
若山牧水は主に大正時代に活動をした歌人です。旅する歌人は古くから多くいました。交通機関が発達していなかった時代、当然徒歩による旅となります。牧水の時代はすでに鉄道の幹線は整備されていました。しかし、牧水の旅のスタイルは、交通機関のあるところは使い、谷を遡り、峠を越え山奥の温泉宿に投宿し、また新たな山野をこえる。という旅であるが故、徒歩旅行が多くを占めることになる。
しかしそれにしても強い。酒にも強いが、足も強い二日酔いで、さらに寝不足を抱えながら、ひたすら歩く。しかし悲壮感はない。ふてくされもしない(らしい)。同行者がいれば愉快に歩く。だから行く先々短歌仲間の老若、皆、無理をしてでも旅に同行したい。分かれは寂しい、そのたびに飲む。体が壊れない訳がない。この紀行にも胃の養生のための温泉紀行もあり、病気の養生の言葉が随所に出てくる。
旅の予定はあって無きがごときもの、歌仲間を訪ね、それが昔の情報網であっという間に伝わり同好者がくる。予定はそのたびに変わる。気ままというか、何者にもとらわれない旅で、そこに精神の自由も生まれるのだろう。
表題の「みなかみ紀行」は現在の群馬県みなかみ町のみなかみではない。谷を辿り温泉宿、ときには湯治場で現地の仲間と飲み、語り、歌を作り、添削しながら、四季の自然との交感を楽しむというものだ。
これこそ旅と呼ぶべきもので、現代人の忘れた旅の本来の姿ではないだろうか。
「みなかみ紀行」は長野、群馬、栃木にまたがる紀行で、『解説』によると次のようなコースらしい。
沼津自宅~東京経由、長野県岩村田~小諸~星野温泉~草津温泉(今はなき草軽電鉄を利用)~花敷温泉~暮坂峠~四万温泉~沼田~法師温泉~湯宿温泉~老神温泉~丸沼~金精峠~湯元温泉~宇都宮~喜連川~沼津、 計24日間の旅であった。
暮坂峠にあった牧水の銅像は心無いものに盗まれてしまったが、表紙の写真の帽子にコート、わらじに脚絆、杖をもったこの姿であったろう。これに荷を背負って山坂を歩いたのだ。
紀行文中にはその折々の歌が載っているけれど、私がまず感じたのは、紀行文のすばらしさだった。旅そのものの自由さ、歌仲間との交歓の屈託のなさと同じように、牧水らしい素直な表現、自然を愛する感情が散文全体に柔らかな雰囲気を醸し出していると思う。
そう思うと、牧水の歌は散文的なものを多く持っているように感じられる。(これがほめ言葉になっていないのであれれば悲しい)
この本にはほかに、胃病を養いにいった信州「白骨温泉」と、それに付随する上高地、焼岳登山を描いた「山路」。「ある旅と絵葉書」もよく、伊豆湯ヶ島温泉と天城山を描いた「追憶と眼前の風景」、山桜を描き出した文がよかった。それにしても酒の飲み過ぎではないだろうか。